いつでも夢を。

今日は給料日。
結婚してからずっと、給料日の前日には、まず、1ヶ月ご苦労様でしたと労って、こう聞くのが習慣になっている。
「明日の夕飯は何が食べたい?」
夫の健康と家計の健康の為に、少なからず夫の嗜好を無視して献立を立てている私。せめて給料日くらいは、好きなものを食べさせてあげたいという、愛情表現なのだが。
「明日、何食べたい?」
「うどん。」
さすが生粋の讃岐人というべきか、欲がないというべきか。それにしても給料日のディナーが「うどん」とは。質素すぎて涙が出る。
ちなみに先月はコロッケ、その前の月はお好み焼きだった。私の記憶が正しければ、その前の前の月の答えは「特に無い。」
靴底くらいの大きさのサーロインステーキだとか、大トロのにぎりだとか、満漢全席だとか言われても困るのは確かだが、あまりにも欲の無い、あるいは夢の無い夫の答えを聞く度に、もしかして、夫は妻の料理の腕を信頼していないのだろうかと、一抹の不安がよぎる私だった。
「あ、やっぱり焼き蕎麦にして。」

愛犬はスナイパー。

大輔を公園に連れていく準備をしていた時、ふと庭を見ると、愛犬が鎖をポールに絡ませて身動きがとれなくなったらしく、地べたに寝転がったまま、大層難儀している様子だったので、解いてやろうとガラス戸を開けて庭に下りた。
近くで見ると、一体どうやったものか、ひどく複雑に絡み付いていて、なかなか解けない。首輪に繋がったわずか15cmほどを残して、後は全部ポールに巻きついている。
かなり前からこの状態だったらしい愛犬シロ、早くなんとかしてくれとキュウキュウ鳴いて哀願する。わかってる。わかってるけど、どうすりゃいいんだ、この鎖。それでもなんとか、半分ほど解いたその時だった。
ガン。
顎に猛烈な衝撃を受けて、思わずその場に崩れ落ちる私。視界は一瞬真っ白になり、意識はつかの間吹っ飛んだ。朝なのに、星が見えた。それも複数の。
自由になって嬉しかったのか、それともひさしぶりに遊んでもらおうと思ったのか、とにかく私に飛びつこうとしたらしいのだが、いかんせん、体勢が悪かった。
寝転がった状態から、目標をよく確認せずに強引に飛びあがったものだから、頭が私の顎に激突。手加減なしの全力でジャンプした、体重14kg雄7歳中型犬の脚力は半端じゃなかった。しかも犬にあるまじき石頭。
シロよ、笑いながら尻尾振ってる場合じゃないぞ、おまえ。
みるみる腫れる私の顎。触ってみると、ぶよぶよと異様に熱く、柔らかい。慌てて鏡を見てみれば、赤く丸く膨れ上がり、実に見事なお椀型をしていた。
「・・・・・・・。」
公園へ行くのはもちろん、その日の予定がすべて中止になったことはいうまでもない。
大輔が熱を出した時の為に買っておいた「デコデコクールS子供用」の封を切りながら、せめて夫が帰ってくるまでには、腫れが引いて欲しいものだと、心の底から思う私だった。

遺伝。

目下のところ大輔お気に入り番組のベスト3は
ピタゴラスイッチ」「からだであそぼ」「にほんごであそぼ
さすが発露直前まで母の子宮を蹴り続けていただけあって、体を動かすことが大好きな彼、体操&ダンスコーナーが始まると、どんな遠くで遊んでいても、目の色変えて走ってくる。そして「ばぶーばぶー」と言いながら、真剣そのもので踊りまくるのだ。
朝、流しで食器を洗っていると、大輔が、突然、泣きながら走ってきた。ついさっきまで、嬉しげに「にほんごであそぼ」を見ていたはずなのに、ひどく怯えた様子で泣きじゃくり、必死に手を伸ばしてくる。驚いて抱き上げようとした私の手を、物凄い力で引き寄せたと思ったら、不意をつかれてバランスをとりかねている、こちらの体勢などお構いなしでしがみついてきた。
両手は首に、足は腰に、それはもう、枝から枝へ飛び移りながら移動する母猿の背中から、振り落とされないよう、必死にしがみつく小猿そっくりの有様で、ああ、やっぱり人間は猿の子孫なんだなと場違いな感想を抱きながら、ふと見ると、真っ赤な顔に長い髯、つりあがった眉毛も恐ろしげな閻魔大王の前で、楽しげに歌いながら遊んでいる子供達の姿があった。
なるほど、これか。
にほんごであそぼ」では、昔の遊び歌をCG映像と一緒に流すのだが、今回の遊び歌はどうやら「地獄」がキーワードになっていたようで、それが大輔には恐ろしかったらしい。
「大ちゃん、大丈夫。あれはね、お人形。お人形の閻魔様。だから怖くないの。ほら、もう終った。」
赤を基調にした画面、大きな閻魔大王の顔、インパクトのある映像ではあったけれども、私には、そう恐ろしいものには思えなかった。むしろユーモラスで、素朴で、可愛らしくさえあったのだが、子供にとってはまた、別のものなのかもしれない。
それにしても「地獄」が怖いとは。まぁ、今の大輔に「地獄」が何か、わかるはずはないのだから、単純に閻魔大王の映像が怖かっただけなのだろうが、それでもあの怯え様はただ事ではなかった。
ひょっとしたら、大輔に流れる日本人の血が、本能的に「地獄」を理解させ、怯えさせたのかもしれない。それとも魂の奥深いところに刻まれた記憶の断片が蘇ったのか。
とっくに切り替わった映像に目もくれず、母にしがみついたままの大輔をあやしながら、何となしに神秘的なものを感じる私だったのだが、ふと、あの閻魔大王の顔が、実家の父にそっくりだったと思いつき、小さい頃、叱られたわけでもないのに、父がやたら怖かったことを思い出した。
「大ちゃん、そういえば、爺ちゃんにだけは抱っこせがまないわねぇ。」
「う。」
「顔が怖いから?」
「・・・う。」
まぁ、正直な話、父の顔は確かに怖い。記憶にないほど小さな頃のことではあるが、一緒に風呂に入ろうと父に誘われて、椅子にしがみついて泣き喚いたこともある。弟にいたっては、目を合わせることもできなかったほどだ。あんな顔だけれど本当は、繊細で、純粋で、乙女のような人なのに。そしてとてもとても子煩悩な人なのに。
ただ顔が怖いという、ただそれだけのことで、愛する我が子から、問答無用で恐れられる自分に、父がどれほど悩み、傷ついたことか。あまつさえ、親子二代で怖がられるとは。
父よ、よくよく貴方も不憫な人だ。
「爺ちゃん、顔は怖いけど、優しいよ。」
「あ。」
「今度一緒に公園行こうか。」
「あ。」
今年の父の日は、プレゼントに添えて、父の好物を手作りしようかと考える私だった。

エンドレス・作法。

NHK教育で新しく始まった「からだであそぼ」に、大輔がはまっている。
中でもケイン・コスギが、淡々とした語りで解説が流れる中、子供と一緒に、美しい所作をしてみせる「今日の作法」が特にお気に入り。奇声をあげつつ、画面を食い入るように見ている。同じくNHK教育「日本語であそぼ」の狂言シリーズも大好きなところから察するに、どうも大輔、「和」の雰囲気に惹かれる性分であるらしい。渋い1歳9ヶ月もいたものである。
そのうち、同じように自分もやりたくなったらしく、見よう見真似で立ったり、座ったり、お辞儀をしたりし始めた。
とはいえ正しい所作で、美しく立ち居振舞いをするには、1歳9ヶ月の大輔は、少々経験不足。有体に言えば所詮無理。もっとも一人前の大人でも、近頃は正しく美しい立ち居振舞いの出来る人は少ないから、出来なくてむしろ当然と母は思うのだが、そこは祖父譲りの負けず嫌い。ちゃんと出来ない自分がくやしくて仕方が無いらしい。
昨日、夕飯の仕度をしていると、TVを置いてある和室から大輔がしきりに呼ぶので、何事かと行ってみると、画面を指差し一言「あ。」
見ればちょうど「今日の作法・美しく座る」が始まるところだった。どうやら彼、どうしても上手く出来ないので母に代わりをさせるつもりらしい。
しょうがないなぁ、一回だけよと言いつつ、画面通り座って見せると何やら不満げな顔で「ぃあう。(違う)」
「何、どこが違うの。間違ってないでしょ。」
「ぃあう。ぃあう。あー!」
「もう、お母さん忙しいの。今度ね。」
「あぎゃー!!!」
仕方が無いので録画中のビデオを止め(この時間帯の教育番組は大抵録画している)、「今日の作法」まで巻き戻して再生し、じっくり見直してからやり直し。我ながらいい感じだと思いつつ息子を見ると
「ぃあう!」
「・・・・・。」
嫁して8年、嫁姑のいざこざはあっても、まさか行儀作法で息子にダメ出しされる羽目になるとは、夢にも思わなかった。立ったり座ったり、巻き戻しては再生し、また巻き戻しては再生する。凝り性だというのはわかっていたけど、ここまで頑固にダメ出しされると、さすがにうんざり。何がどう違うのか、せめて言葉で説明してくれないか、息子よ。
母さん、何だか膝と腰が痛いです。
「ぃあうのぉおおお!!」
やれやれ。

それもまた親心。

言葉らしきものは喋っているものの、発音が日本語では無いため、誰にも通じない大輔。そのせいかどうかはわからないが、ボディランゲージは極めてハイレベル。
自らの欲するところのものを、もっとも正確かつ迅速に与えてくれる人間を瞬時に見極めたら、その人の手を持って、目的のものがある場所まで誘導し、欲しいものを指差して「あ。」と一言。一見大雑把なようだが、人選ミスさえなければ十分事は足りる。
例えばそれが冷蔵庫の中に入っているスライスチーズだった場合、もっとも食べ物に対してガードの甘い義母か、実家の母の手を引いて冷蔵庫の前に立ち「あ。」ドアが開いたらすかさず中を確認して、欲しいだけのスライスチーズを取り、そこで食べるように躾られている和室六畳間へダッシュして、正座し、一人勝手に手を合わせて食べる。そして母に叱られる。(決められた時間外だったり、すでに何か食べた後だったりした場合)
1歳9ヶ月になるというのに、大輔が喋る意味のある単語と言えば「わんわん。」「まんま。」言葉の発達には個人差があるし、とりあえず、二つだけでも意味のある言葉が喋れるなら、問題はないとわかってはいるものの、同じくらいの年の子が、けっこう喋っているのを見ると焦ってしまうのも正直なところ。なまじ身振りでそこそこ意味が通じてしまうのがよくないのかと思ったり、言葉かけが足りないのかと密かに悩んだりしていたのだが。
2階で機嫌よく遊んでいるので、この隙に1階の掃除を済ませてしまおうと(大輔の目の前で掃除機をかけると、何をやっていても飛んできてノズルを握り、自分がやるといってきかないので、掃除が出来ない)気付かれないようそっと1階に下りた。まず流しに置きっぱなしになっている食器を洗い、テーブルを拭き、掃除機をかけようとした時、2階で勢いよくドアの開く音がした。そのままバタバタとしばらく走り回っていたが、唐突に足音が止んだかと思うと、悲鳴のような大輔の声が響いた。
「おがあさん!おがあさん!おかあさん、どこ!どこ!」
手にした掃除機を放り出し、私が大輔のもとへ飛んでいったのは言うまでも無い。
その後、堰を切ったように喋り出した大輔。
「これ、わんわ。」「ぞうさんぞうさん。」
「(お気に入りの毛布を被りながら)ねんね。ねんね。大ちゃん、ねんね。」
どこか得意げに話す大輔に
「そうだね、わんわんだね。」「ぞうさん、お鼻長いねぇ。」
「そう、大ちゃん、もう眠くなったの。」
などと答えながら、あれほど心配していたくせに、いざ言葉がしゃべれるようになってみると、今度はあの意味不明な大輔語が聞けなくなることが、何だか無性に寂しい気がする私だった。

それはそれで、凄いものを見たという気も。

大輔を公園に連れていった帰り、自宅近くの交差点で、信号待ちをしていた私の前を、ジョギング途中らしい背の高い男性が、飲み物を片手に、ゆっくりと歩いていった。
すらりと長い脚。そしてその上にある、適度な緊張感を保ちつつ優雅な曲線を描く臀部。歪みの無いしっかりとした骨格の上に乗った必要にして十分な量の背筋と腹筋の絶妙なバランス。肌はしっとりと滑らかで、オリーブ色に輝いていた。
美しい。なんと美しい体だろう。肉体の美を武器に生きている一部の人々を覗いて、今、無防備に横断歩道を渡っている肉体ほど完璧な美を、私は知らない。思わずため息をつきながら私は思った。完璧だ。まさにパーフェクト。
そのパーフェクトな肉体の上に乗っていたのは、笑福亭鶴瓶師匠そっくりな50代前半とおぼしき男性の幸せそうな笑顔だった。
なんで鶴瓶。よりにもよって鶴瓶。ヘアスタイルはもちろん、額の後退具合から毛質までそっくりな、まさに完璧な笑福亭鶴瓶だった。
男性が渡り終えると同時に、信号は青に変わった。
画竜点睛を欠く、知らぬが仏、後ろ別嬪前びっくり、怒涛の如く溢れ出す言葉の波にもまれながら、いつもより少しだけ強くアクセルを踏む私だった。

だって子供が見てるから。

前日は夫方の伯父の通夜、当日は告別式で、存在そのものを忘れていたホワイトデー。
昨日、いつもより少しだけ早目に帰宅した夫が、にこにこしながらこう言った。
「少し遅くなっちゃったけど、これ。奥さん、久しぶりに食べたいって、言ってただろ。」
見ればそれは、私の大好きな某洋菓子店のケース。中身は絶品と評判のティラミスとクリームブリュレだった。
「・・・覚えててくれたんだ。」
「当たり前だろ。夫婦だろ、俺達。」
「ありがとう!ありがとう、夫!愛してるよ。」
「じゃあ、おっぱい揉ませて。」
「絶対、嫌。」
そんな二人は今日も仲良し。