コミニュケーション。

最近、大輔が「イクラちゃん」化している。
歌のお兄さん、お姉さんの「みんなぁ、元気ぃ??」の呼びかけに
「はぁい!」
遊びに来た義母の「大ちゃん、すっかりお兄ちゃんになったねぇ。」に
「はぁい!」
「大ちゃん、おやつ食べようか?」
「はぁい!」
「大ちゃん、おむつ替えようか。」
「はぁい!」
イントネーションといい、声の感じといい、イクラちゃんの声を当てているのは、実は大輔なんじゃないかと思うくらいそっくり。にこにこ笑いながら「はぁい!」と言われると、親バカマックスな両親は腰が砕けそうになる。もう可愛すぎ。<メロメロ
もっとも大輔、「サザエさん」を見たことは一度もない。一度もないのにこの完璧さ。子供を持つまでは考えてみたこともなかったけれど、「イクラちゃん」。実はリアリズムだったのかと、妙なところで感心したり。
何にしても、会話(らしきもの)が出来るようになったのは、本当に嬉しい。思えば今まで、私達のコミニュケーションに、言葉というものは存在しなかった。アイコンタクトとボディランゲージ、そしてわずかな表情の変化から、相手の言わんとするところを推測する日々。それはまさに、愛犬と私が8年間、繰り返してきたものとまったく同じ。正直な話、付き合いが長い分、大輔より愛犬の方が、お互い気持ちが通じやすかったりする。同じ人間なのに、実の母子なのに、種族の違う愛犬の方がよくわかるなんて。仕方が無いこととはいえ、切ない話だ。
それが今、「はぁい。」だけとはいえ、会話らしきものができるようになった。言葉で理解しあえるようになってきた。大袈裟でもなんでもなく、今、やっと親子になれた気がする。・・・・人間の。
「大ちゃん、今日もたくさん遊んだねぇ。」
「はぁい。」
「たくさん御飯も食べたね。」
「はぁい!」
「歯ブラシもちゃんと出来たし。」
「はぁい!」
「大ちゃん、お風呂入ろうか。」
「いやだ。(きっぱり)」
会話は楽しい。会話は便利だ。会話は、人間関係の基礎である。
しかしながら、会話が弾んだからといって、要求が通るとは限らない。
嫌がる大輔を問答無用で小脇に抱え、バスルームへ向いながら、こうして力ずくで問題を解決できるのも今のうちだ、と、しみじみ思う私だった。
「いやだぁあああ!!!」