それぞれの基準。

夫は賞味期限に寛容だ。というよりも「賞味期限」という概念がない。概念が無いから賞味期限を確認する、という行為も無い。
だから例えば、封は切られていないが賞味期限が1年以上前に切れているウスターソースを、たっぷりかけてコロッケを食べたり、うっかり冷蔵庫に入れたまま忘れていた、3年前に貰ったお土産のチョコレートを全部一人で食べたりする。
そのくせ具合が悪くなったことは一度も無いし、味がおかしいと訝ることも無く、けろりとしているので、あれはどういう仕組みなのだろうと不思議に思うことがある。
新婚の頃、夫が実家から持ってきたウスターソースをカレーの隠し味に使おうと思い、いつもの癖で、何気なく賞味期限を確認すると、4年以上も前の日付けになっていたので、真っ青になりながら夫に報告したのだが(その日の朝食の目玉焼きに、夫がかけて食べていたので)、
「あ、そうなん?」
の一言で済んでしまった。その後下すこともなく、吐くこともなく、気持ち悪くなることも、気持ち悪く思うこともない、泰然自若とした夫の姿に
「この人、本当は凄い大物なのかもしれない。」
と内心、舌を巻いたことがある。というのも、私は人一倍賞味期限に神経質で、例え1日でも期限の過ぎたものは、たとえそれが加熱してあっても食べられない。うっかり気付かずに食べてしまって、後で賞味期限が切れていることに気付いたりすると、特にどうということがなくても、何となく気味悪く、落ちつかない気分で1日を過ごす羽目になる。
賞味期限というものは、安全の為に、本当に食べてはいけない日限より、1週間早目に設定してあると、どこかで読んだ覚えがある。
そもそも賞味期限などというものにこだわるようになったのは、ごく最近のことで、昔は少しばかり傷んでいても、匂いや味に問題が無ければ、気にせず食べていたものだった。少なくとも、私が小さい頃はそうだったように思う。
もちろん、見極めが甘いと大変なことになるし、無理に古いものを食べる必要はないのだが、本来、人間の体というものは、私達が思う以上に丈夫で、適応力がある。子供や老人はともかく、健康な成人なら、私のように、日付けだけにこだわって、食べ物そのものの状態を考えないのは、むしろ不自然なことなのではないか、夫のようにおおらかな気持ちでいる方が、人として自然な姿なのではないか。まさに、目からうろこの落ちる思いがしたものである。・・・なのだが。
昨日の朝食はトースト、ポテトサラダ、オムレツにコーヒーというメニューだった。家族3人テーブルを囲み、いただきますと手を合わせた後、最近、自分で食べたがる大輔のために、オムレツを小さく切ってやっていたのだが、ふと、夫の方を見ると、大好きなメニューの筈なのに、手をつけようともせず、自分の皿を見つめたまま、何やら考え込んでいる。
「どうしたの?食べないの?」
「いや、あのさ、これ。」
「何?」
「このパン、焦げてない?」
言われて見れば、トーストのはじが、少しばかり焦げている。だが、本当にほんの少し。
「それが、何か?」
「・・・・・ガンに、なる。」
「は?」
「ガンになるよ、こんなの食べたら。」
「・・・・・・・。」
夫は、確かに賞味期限に寛容だ。だからといって、「焦げ」にもそうだとは限らない。
夫のトーストをつまみあげ、無言で焦げたはじっこをちぎってわたしながら、基準ってなんだろう、一人考える36歳の春だった。