シロと雀と私と雲と。

飼い主に似たのかどうかは定かでないが、我が家の愛犬は動物好きである。
どのくらい動物好きかというと、迷子になった子猫を自分の小屋に招き入れ、飼い主にも内緒で世話をしたり(<トラ)、野鳥の餌付けをする為に自分のエサを残す(<シロ)くらいの動物好きである。おかげで我が家の庭には、いろんな種類の野鳥が、愛犬のエサを目当てにやってくるようになった。
ヒヨドリ、椋鳥、百舌、雀、目白、鶯、たまに鴉。時には名前も知らない見たことも無い鳥が、ベランダにとまっていたりする。小さな町とはいえ、すぐ側を高架橋が通り、通勤時には車の往来が絶えない町中で、朝、空が白み始めた頃、小鳥のさえずりで目を覚ます幸せは、格別のものがある。
たとえ夏の大雨で、軒下にあった雀の巣が落ちて雛の亡骸ごと二階の雨樋に詰まり、行き場のなくなった雨水が、大量に隣家の壁に降り注いでやんわり苦情を言われ、高所恐怖症の夫の代わりに半泣きで取り除くことになったとしても、そしてそれがほぼ年中行事のようになっているとしても、彼らの歌の素晴らしさには替えられない。・・・・多分。
掃除の合間、ふと庭を見ると、愛犬と並んで空を眺める雀がいた。臆病な筈の雀が、自分の体の何倍も大きな愛犬の側で、時折エサをついばみながら、のんびり空を眺めているのである。これには私も驚いた。
飼い慣らされた鳥ならいざ知らず、仮にも野生の生き物が、犬の側で寛ぐなどあり得ないことである。もし、今、愛犬が犬の本能を取り戻し雀を捕らえようとするなら、ほんの一打ちするだけでいい。なにしろ彼のすぐ足元に、雀はいるのである。
もっとも、愛犬にその気はさらさらないようだったし、雀は雀で、自分のすぐ側にいる大きな獣が、自分を襲うことなど万に一つもあり得ないと、信じているようだった。その安心しきった様子、無邪気に寛ぐ姿に、あれはもしかして、今年無事に育った雛の1羽かもしれない、大雨で巣が流されていたけれど、大事無かった雛も居たのだろうと私は思った。
見上げれば、空は高く高く澄み、羊雲がぽっかりと浮かんでいた。のんびりと空を眺める1羽と一匹を驚かせないよう、私は静かに静かにその場を去った。1羽と一匹が、それからいつまで空を眺めていたのか。私には、知る由もないことである。